日々雑感

日々思うことの備忘録です.

ヴァイオリンの習得

ヴァイオリンを習い始めてからもう8年になる.なかなか上手にならないが,それでも毎年確実に上手になっていることも確かである.練習していて思うことはいろいろあると,今日はそこから二つについてメモを残しておきたい.

一つは,練習の短期的成果を期待しなくなったということである.どんな技能でも,練習しているあいだに上手になったという感覚があることはうれしいことである.しかし,ヴァイオリンの練習をしていて,練習しているあいだに目に見えて何かが上手になるということはほとんどない.その点で,練習しようというモティベーションを維持するのは難しいといえるかもしれない. このように,練習していて1日1日の伸びはほとんど見えないのだけれども,それを1週間,1か月と続けていると確実に上手になっているのである.目に見える伸びはないけれども,伸びることを信じて練習していると伸びるということである.この経験は「目に見える成果がないことに対する焦り」を取り除くという点で,私にとって少なからず大きな影響を与えたといえる.

もう一つは,新しいテクニックに挑戦するタイミングということである.一般に,新しいテクニックについて練習するためには,その土台となるテクニックができていないとだめだということは容易にわかるだろう.しかし,その一方で,新しいテクニックの練習を始めることでその土台となるテクニックが改善するということを何度か経験してきた.

ポジション移動というテクニックを例にあげてみよう.ポジション移動とは,楽器から出せる音域を変化させるために,弦を押さえる手指の位置と楽器の軸方向に平行移動させる動作である.これができるためには左手を自由に前後方向に動かせないといけないので,左手に頼ることなく肩だけで安定して楽器を構えることが必要である,しかし,私には,それまでの練習の過程で,弦を押さえる指と対向するために人差し指の付け根部分で楽器を下から支える癖がついてしまっていて,それがなかなか解消できなかった.そういう状況で,ポジション移動の練習を始めたのであるが,しばらく練習をしていると,の悪い癖が解消して,左手全体の姿勢が大きく改善したのである.これは,いってみれば「必要は発明(習得?)の母」ということである.ポジション移動のためにはそれに適した左手の姿勢をとる必要があるので,ポジション移動の練習をしているあいだに左手の姿勢がそれに適した姿勢に変化したということである.

同じことは,元弓での演奏やスタカートの練習についてもいえる.初心者は,元弓(弓の根本)で弦を弾くと汚い音が出やすいので,元弓で弾くのが怖いと思っており,弓のコントロールがある程度できるようになってから元弓で弾くことに挑戦する.そして,いったん元弓での練習を始めてしばらくするうちに元弓での力のかけ方にだんだん慣れてくるのであるが,それと並行して弓のコントロール技術が上がっていくのである.実際,私の場合,それ以前に練習していた曲を久しぶりに弾いてみて,音色が良くなっていることに気づいてびっくりしたぐらいである.これも「必要は習得の母」である.「自分はまだ弓がコントロールできていないから元弓に挑戦するのは早すぎる」といって挑戦しないでいると,この経験ができなくなってしまう.

とはいえ,やみくもに難しいテクニックに挑戦しても,これはこれで失敗してしまうであろう.新しいテクニックに挑戦するのにちょうどよいレベルやタイミングというのがあるはずである.いってみれば,「自分の能力よりもちょっと難しい程度のテクニックに挑戦する」というのがちょうどよいということになるのだろう