日々雑感

日々思うことの備忘録です.

ブルーオーシャン・レッドオーシャン

あらためて説明するまでもないことだが,レッドオーシャンとはすでに開拓されていて競争相手が多い市場,ブルーオーシャンとはまだ競争がない未開拓な市場である.これらの言葉はもともと企業の経営戦略論の中で使われるようになった用語であるが,学術研究の分野でも同じことがいえる.

イオニアによって新たな問題が発見・定式化され,その解決の道筋が見えてくるとその問題に参入する研究者が増えてくる.学会や研究会でその問題に関する発表が増え議論が盛り上がってくると,それがさらに多くの研究者のひきつけ,さらなる発見や高い成果を求めた競争が展開される.これが学術研究におけるレッドオーシャンである.レッドオーシャンに参入することには研究者にとってさまざまなメリットがある.まず,研究をを開始するのに必要な情報がすでに出回っているので,比較的容易に参入すできることである.また,研究が盛り上がって社会からの認知度が高まると,産業界からの注目が増えて共同研究が増えるだけでなく,多くの場合その問題に的を絞った国の特別な研究費枠ができるので研究資金が豊富になる.さらに,学会誌や論文誌には特別セッションや特集号が組まれ,成果を発表しやすい環境が整う.同業者が増えれば互いに論文を引用される回数も増えるから,業績評価における数値指標重視(論文本数や引用回数)の風潮の中では点数稼ぎをするにもよい.レッドオーシャンは多数の研究者と競争する点で厳しい環境ではあるが,一方で,まとまった研究費を調達し業績を積み上げていくうえでやりやすい環境なのである.皮肉な見方をすれば,機転の利く研究者であれば,世の中で流行っていることを観察してその潮流に乗ることで,自分で新しい問題を開拓・発見しなくても業績を上げていくことができる(これはビジネスと同じである).

一方,ブルーオーシャン戦略というのは,ほかの研究者が目をつけない問題を発見してほぼ独力で研究を進めていくというスタイルである.「みんなが必死で研究している問題を研究しても優秀な人には勝てないから,ほかの人がやらない研究テーマを選んだ」という話をよく聞くが,これはブルーオーシャン戦略で成功した研究者の言である.こちらは,研究者の数が少なく競争が激しくないという点では楽かもしれないが,同じ研究をしている研究者が少ないということは,研究環境としては必ずしも便利でないし(例えば,道具や材料を入手しにくい),社会的に認知されていないので研究費がとりにくいし論文も採択されにくい(その研究を理解してくれる人が少ないし,発表する場も乏しい).それ以上に,ほかの研究者が目をつけないということは,そこに「鉱脈」があるかどうかよくわからない(挑戦しても意味がないかもしれない)か,あるいは,仮に鉱脈があったとしてそれを掘り当てるのが極めて難しいことを意味している.その中でその研究をあえて進めていくには孤独に耐えて努力を積み重ねていく底力が不可欠である.しかし,いったん成功すれば,競争相手が現れてくるまではその研究者の独壇場であるし,その分野のパイオニアとして後世まで名が残る.

自分はどちらなのかといえば間違いなくブルーオーシャンに近いのだが,ただ,最近になって,自分のやり方はブルーオーシャン戦略とも違うのではないかと思うようになった.何が違うかといえば,ほかの人がやらない研究テーマを選ぶ理由が「ほかの人と同じことを研究しても優秀な人には勝てないから」ではないことである.自分には,そもそも「競争に勝つこと」を目的として研究テーマを選ぶという発想はまったくない.自分の場合,ほかの人が研究していないテーマを選ぶのは「ほかの人がやらないことを補う」という感覚なのである.逆にいえば,ほかの人が研究しているテーマを選ばないのは,ほかの人がすでにやっているなら自分がわざわざやらなくてもいいではないか(ほかの人がやってくれているんだから)という感じである.

この「補う」という感覚,こういう感覚で研究をしている研究者はほとんどいないだろう(これが以下に張り付けた過去記事に書いたことの一例である).ただ,こう言う感覚は自分の良さであると同時に悪さでもあるのだと思う.というのも,ほかの人が考えないある問題を見つけてその中の面白い部分(問題を定式化してその例を解決する部分)を解決してしまうと,その問題をさらに追及することに興味を失ってしまうからである.これは.問題の定式化が終わってしまえばあとは私がやらなくてもよいだろう(だれかがその続きをやってくれるだろう)と思ってしまうためである.そんなわけで,私の研究には一つの問題を徹底的に追及して完成させたという業績がない.逆にいえば「つまみ食い」になっているということである.これは「自分の城を築く」という科学者の王道をいくうえで最悪の戦略である.

ただ,あえて強調するとすれば,自分には「研究」を「競争」ととらえることに違和感があることだけは間違いがない.科学の知見(人類の知恵?)を積み上げていくうえで,ほかの人よりも,また,ほかの国よりも早く業績を上げることにどんな意味があるのでだろう.いろいろな研究者がいろいろな問題を分担して解決していけばよいではないか.このことについてはまた別の機会に述べたい.

 

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